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スマート・エイジング・カレッジ 

5月25日のスマート・エイジング・カレッジ

前回のブログの続きです。



2時限目

 「地域社会の死生観」

 東北大学大学院文学研究科准教授 辻本昌弘先生



「山上の仏おろし」というVTRを見せてもらいました。25年ほど前の古い映像です。

仏おろしとは、すごく簡単に言うと東北地方で行われている“死者との交信”です。

イタコの口寄せに雰囲気は似ています。

青森県津軽地方で行われているものですが、カミサマと呼ばれる霊能者と

その信者が、岩木山の赤倉というところまで登り、そこでカミサマは死者を

呼び出し、死者からのメッセージを残された遺族(信者)に伝えます。

カミサマもカミサマと一緒に山に登る信者も、みんな普通の中高年女性で、

いつもは普通に地域生活を送っている地域のお仲間です。



カレッジでこのVTRを見たのは、“霊はいるとか、いないとか”・・そういうことを

議論するのが目的なのではなく、“死者と対話する人々のVTRをみて、悲しみの

救済や、世代の継承について考える”というのが目的でした。



確かにその死者との交信は、私たちがイメージするものとは少し異なっていました。

普通のオバチャンたちが井戸端会議をしているかのような、何処となくノンビリした

ような雰囲気もあります。



まずカミサマが死者を呼びます。カミサマの口を通して語られる、その死者が

発する言葉から、信者たちはみんなで“誰だ?誰が来たんだ?”と話し合って、

やがて“あ~!火事で死んだ〇〇〇さんだ!!”とか、みんなで納得しあって

“よく来たね・・”とみんなで身体を震わせて涙を流し、遺族と死者を

引き合わせます。それから死者は遺族に自分の言葉を聞かせますが、

それは残していった遺族を心配して、気遣う言葉です。

それを聞いたみんなは死者に、“心配しなくていいんだよ・・・”と

やさしく声を掛けたり、生前のその人の思い出話を懐かしそうに語り合ったり、

“何年たっても(死者は)来るもんなんだよ・・・”と言い合って、死んでもそれで

終わりじゃなく、いつも遺族を見守っているものなんだ・・・ということを

暗に示します。そして仏おろしが終わると、みんなで“良かったね”と

非常に満足して山から降りるそうです。



ここでのポイントをいくつか上げるとすると、普段一緒の地域で生活していて、

お互いの生活事情や家族構成なんかもよく知っている者同士が集まって

仏おろしをしています。そして死者がくるとみんなで“誰だ?誰だ?”と言い合い、

みんなでそれが誰なのか納得すると、みんなで身体を震わせ涙を流し、

みんなで“よく来たね・・・”とお迎えし、みんなでその亡くなった人の

思い出話をし、みんなで亡くなった人が今でも遺族のことを思っていることに

感心します。そして“良かったね~”とみんなで非常に満足して帰って行くのです。

みんなで、みんなで・・・としつこく書きましたが、キーワードは

この「みんなで」だと思います。

「悲しみの共有」です。

カミサマも信者の人達も、普段からよく知っている同士で連帯意識も強いので、

他の人の感情でも自分のものであるかのように共有できるのでしょう。

そして遺族のかたにとっては、一緒に悲しんでくれたり、想い出話をしたりして

感情を共にできる人たちがいる・・・というのが大きな慰め、そして悲しみからの

救済に繋がっているのかもしれません。

それからこの人たちにとって、死は終わりではなく、

現世の人たちを案じ、守る・・という、死んでも自分には果たすべき役割がある・・

だから有限の人生が空しいものではないんだ・・・と思いがあるようです。



人は誰でも一人では生きてゆけません。

人と人との繋がりの中で生きています。

私がこのブログを書いているのだって、誰かと思いを共にしたいからです。

もちろん友達や家族とだって思いは共有できますが、ホントのことが上手く

表現できなかったり、よく知っている相手だからこそ、言えないこともあります。

だから誰かが自分が発信したことを知っててくれてるんだ・・と思うことは

とても嬉しいし、その上こんな拙いブログにポチッと拍手を押してくれる方も

いる・・というのは、小躍りするくらい嬉しいんですよ・・・。

ブログを読んでくださっている方、

それからポチッとしてくださった方、ホントにどうもありがとうございます。



最後に講師の先生は

「伝統は懐かしむ対象ではなく、現代の歪みを映し出す鏡である」という言葉を

紹介してくれました。「仏おろし」という伝統が、「現代社会の人間関係の希薄さ」を

映し出しているのかもしれません。

もしかしたら「通過儀礼」というものも、その一つの面として、いつまでも

大人になりきれずに中年になっても青年期から抜け出せない大人が多い・・

という現代の社会現象を映し出しているのかなあ・・と

ふと考えてみました。











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